ノスタルジィのお葬式

遺書を殘す積もりでいろいろ考えてみる

劣等感と恋

わたしは恋をしているのかもしれない、とふと考えた。

 

今日は朝からずっと一人でいることがわかっていて(学校を辞めたわたしにとっては特に珍しくも無いが)、しかしいつもと違って、ひとりで家にいることが少し厭だなと思った。

それで無計画に家を出た。

なんで厭だったのかはなんとなくわかっていて、しかしその原因は自分ではどうしようも無く、だからせめてひとにぎりの退屈と等身大の劣等感を紛らわそうとカラオケに来てみたりしている。

フリータイムを取って、余裕のある時間と、ひとりぼっちの密室で、なんとなく物悲しい恋の歌ばかりチョイスしながら、なんとなーく考えた。

わたしは恋をしているのかもしれない。

 

もしかしたらあったかもしれない未来のわたしに。

 

 

恋ってなんだ、と思って調べてみたところ、ネット上のいろんな辞書から「思い慕うこと、恋い焦がれること」、のようなものだという回答を得られた。

続けて、劣等感について最近得た知見があって、それは「劣等感とは理想の自分に対して覚えるものである」ということである。

 

わたしは恐らく恋をしている。

健康とは言えなくても一日をやり過ごせるだけの身体があって、友達と六月の金曜日にご飯に行ってカラオケに行って、後輩なんかいたりして、先輩とか呼ばれたりして、授業を健常な体で受けられるものだから成績だって多少は良くて、そんなわたしに。

焦がれて羨んで、こういう気持ちを恋と呼ぶのだ、と、なんとなく思った午後10時でした。

 

並行世界でもなんでもいいから幸せなわたしがいてくれと願う。