ノスタルジィのお葬式

遺書を殘す積もりでいろいろ考えてみる

神様とメンヘラ

 

今日のBGMです。冒頭一小節が臓腑に響く。

 

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十四歳のころに教会に行きたいと母に言ったことがあります。

許して欲しいと思ったからです。

学校にも行けず、生徒会の仕事はすべて同級生にパスして、宿題もせず、塾にもあまり行かず、それでものうのうと生きている自分を許して欲しいと思ったからです。

母はどこかが痛いような困ったような顔をして、それはどうだろう、といった旨のことをいいました。

神社をお守りしている家の娘のくせに、不思議と自分の家の神社に縋ろうとは思いませんでした。信仰もないのに見ず知らずの他國の神さまが救ってくれると信じていました。そんな頃がありました。

窓の外のオレンジ色の街灯が眩しいなとか思いながら、夜中に、体育座りで許してと呟いたものでした。

 

今のわたしが夜中に呟く言葉は許してではなく助けてです。

布団に額をこすりつけて、八月から切っていない髮なんかぐちゃぐちゃになってる、こんな自分を見て誰が助けてくれるんだろうと思いながら、それでも助けてといいます。

神様ごめんなさい。

親不孝を許して下さい。

メールを返せない自分を許してください。

誰か助けて下さい。

 

無意識下で選んでいた言葉を比べてみて、ああ、やっぱりわたしは二十一歳になってどこかが変わってしまったんだなと思った今日でした。

 

ところで、教会に行くことができなかったわたしがどこに逃げたかと言うと小説を書くことだったんですが、やっぱり創作と感受性って信仰が関わりますよね。

宗教について勉強したいなーと思いました。

神様とメンヘラについて、一考の余地がある。

 

 

二十一歳の今、セカンドオピニオンがしたいです。

診断書をもらいたいと思ったからです。

これが許してと助けての違いかな。