ノスタルジィのお葬式

遺書を殘す積もりでいろいろ考えてみる

思い出の葬列

健常で無くなってから、数えで今年が10年目になる。

それはわたしにとってそこそこ重要な式日である。

 だからと言うわけではないが、かといって、ところでと言うわけでも無いのだが、少し思うところがぽつぽつとあった。

 

睡眠障害から始まった長い病歴は、軽度の抑うつ状態や鬱病を経て現在は双極性障害と呼ばれているけれども、それが最終診断になるのかはまだわからないなというのが本音だった。

いまの主治医のことは十分に信頼しているため、その診断自体を疑っているわけではなくて、人間の身体というものは本当に思い通りにならないということを諦めに近い感情で納得してしまっているからだと思う。

身体も、心も、環境も。

 

10年前に、健康なわたしはもう死んだ。

そのことを身体の隅々まで、脳細胞の隅々まで理解させなくてはいけないのだ。

思うに、地元を離れていたわたしはそのプロセスを上手に踏むことが出来なかったのだ。

それと不安定な病状が重なり上手くいかなかったのだろう。

 

そして、一年半前に母が脳出血で倒れたとき、わたしはそれまでの母は死んだのだと思うことにしていた。そうして一日でそこそこ持ち直した。

こんなことを思うこと自体、まるで不謹慎に思えるかもしれないけれど、わたしにとってはそうではない。

だって人間というものは連続していないのだ。

現に、わたし自身ですら、何度も何度も死んでいる。

睡眠障害とそれに伴う無気力でそれまで思い描いていた道を歩く自分が死んだ。癲癇を発症し、お酒を飲む未来を断たれた時も一度死んだ。そのとき献血ができなくなったので、子供の頃からの夢が癲癇のせいで二つ死んだことになる。その後鬱でなんやかや死んだ。人間関係とかまあ、色々。

そして二週間ほど前からその鬱病の自分も死に、双極性障害の自分が今は生きている。

不連続である。

人間は不連続なのだ。

考えてみれば、ずっと回しっぱなしのレコーダが存在するだろうか?

必ずどこかで区切る。膨大すぎるのだ。

その区切りをわたしは死と呼んでいる。

 

わたしが安心して頼ることができる、保護者としての役割の母は死んだのだ。

そこにいる器は、わたしを産んでこれまで育ててきてくれたわたしの好きな母である。

役割が死んだだけ。他には何も変わらない。

ただ、それを悼む時間がわたしに無いことが少し辛いのだと思う。

母に関して気持ちの整理ができていないのだろう、と自己分析をしている。

人間の身体は、人間の思い出は、不連続だ。

区切られている。

だからこそ、一度に全てが失われるよりも少しずつ失われて行くほうがずっとずっとつらいのだ。

 

心はどこに存在するのかと考えたことがある。

わたしはいまのところ、心とは反応だと思っている。

わたしがこうして何か書いて、これを読んだあなたが感じたそれが心である。

連想した何か、そこに紐付けられた感情。

飛躍した連想。

 

わたしがそれを手繰り寄せられるか、あるいは想像できるか、それが心の近さだろうか?

そこまではまだ考えていないけれど。

 

 

まあなんというか、お酒を飲んでみたいなあというのと、徹夜ができないというのは不便だなというのと、なんだかんだ不良になるとか言いつつポカリを飲んでるわたしはお利口さんだなってことでした。

最近得た知見では、40度の発熱は酩酊に似ているらしいので、ある意味味わったことはある。

死の危険無しに味わえるのはやはりうらやましいし、献血も羨ましいけれど。

 

こんな人間に生まれついてしまったから仕方ないと思って余生をやり過ごしている。

 

小説はこないだ見たホラーな夢の話のプロット書いてるので、もう少し待ってください。

いまページ割りが4分の1終わったところなんで、すんません、

未必の方はページ割りも終わって本編書くだけです。

進捗とか上げられたらいいんだけど、いかんせん面倒だよね。

 

それでは、長文が書きたくなったらまた来ます。

群青のあとがき

完結したので満を持してこの曲を貼る。

 

ホームページの方で書いていた小説が三年ぐらいかかって完結したので、あとがきをこちらの方にも載せておきます。

もし興味が湧いたら読んでみて下さい。

 

 

/*== ここからあとがき ==*/

 

まさか自分のような人間にあとがきを書く日が訪れるとは思っていなかった。

群青という話は、ところどころよくわからないと思うんですけど、一縷と剥離が若干救われて終わってることだけ伝わったらいいなと思います。
いや、ほんとは、吐きそうになりながら向き合っては向き合いきれない何かと付き合ってるどこかの誰かに、なんかいろいろ伝わったらいいなと思うんですけど、それはちょっと欲張りかもしれないと思いつつ。

本当は忘れたくない、忘れられない、でも忘れたことにしなくちゃ生きていけない、そもそも生きてる意味ってなんだ、つーか自分は生きてるのか、死んでないだけじゃないのか、でも機会があったらそれじゃあ自分は死にたいと思うのか? 死ねるのか? そんな記憶と思い出の狹間にある落として割れた硝子の破片みたいなものが痛んだ時に読んで欲しいと思います。

生きてていいよなんて誰も言ってくれない。自分を神様だなんて思ってる人はいないし、そんな人なんか信じられない。

手に入ったはずの何かを諦めながら、スクロールしていく時間の流れを横目で見ましょう。これからも。
17/09/08

劣等感と恋

わたしは恋をしているのかもしれない、とふと考えた。

 

今日は朝からずっと一人でいることがわかっていて(学校を辞めたわたしにとっては特に珍しくも無いが)、しかしいつもと違って、ひとりで家にいることが少し厭だなと思った。

それで無計画に家を出た。

なんで厭だったのかはなんとなくわかっていて、しかしその原因は自分ではどうしようも無く、だからせめてひとにぎりの退屈と等身大の劣等感を紛らわそうとカラオケに来てみたりしている。

フリータイムを取って、余裕のある時間と、ひとりぼっちの密室で、なんとなく物悲しい恋の歌ばかりチョイスしながら、なんとなーく考えた。

わたしは恋をしているのかもしれない。

 

もしかしたらあったかもしれない未来のわたしに。

 

 

恋ってなんだ、と思って調べてみたところ、ネット上のいろんな辞書から「思い慕うこと、恋い焦がれること」、のようなものだという回答を得られた。

続けて、劣等感について最近得た知見があって、それは「劣等感とは理想の自分に対して覚えるものである」ということである。

 

わたしは恐らく恋をしている。

健康とは言えなくても一日をやり過ごせるだけの身体があって、友達と六月の金曜日にご飯に行ってカラオケに行って、後輩なんかいたりして、先輩とか呼ばれたりして、授業を健常な体で受けられるものだから成績だって多少は良くて、そんなわたしに。

焦がれて羨んで、こういう気持ちを恋と呼ぶのだ、と、なんとなく思った午後10時でした。

 

並行世界でもなんでもいいから幸せなわたしがいてくれと願う。

氣休めにもならない言葉なら要らないわ

死にたい理由なんて考えてどうするの。

鬱になってくるとこの曲が脳裏でぐるぐるします。

 

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なんか攻撃力の高い落書きをしてしまったので載せます。

この繪の目を見ていると不安になってくる。

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あー今日も生きてます。

生きているのか死んでいないだけなのか、まあどちらかと言えばかろうじて生きているんじゃないかな。

ご飯を食べようという意思があるので、まあかろうじてね。

えー皆さんいかがお過ごしでしょうか私は死んでます。ほら舌の根も乾かぬうちにそういうこと言う……

 

鬱拗らせて死にかけているのですが、なんとなく生きている痕跡を残したくてブログを書いています。

最近は小説も書いているんですが、変わったことと言えば、中高生の頃書けていたシリーズの話がここ數年間書けなくなっておりまして、どうしたものかと悩みつつ人物のレイヤを掘り下げて掘り下げて熟考したらなんとか妄想が捗るところまでやってこられました。

あと乗り越えるべきは公開するにあたっての恥ずかしさだな……。

妙に交流して人格を露出させてしまったせいで羞恥心が募る……。

 

どうでもいいお話だったのでまた書きに来ます。

ブログのハードルを上げすぎたんだ……エモい文章ばっかり書かなくていいよね

すぐあなたハードル上げるんだから、身の程を知って!

またね。

とても久しぶりに遊んできました。

ほんとうは遊ぶ前にやらなくちゃいけないことがたくさん、小さいものから大きいものまでいろいろあったけど、遊んできました。

 

二時にふわっと待ち合わせて、時間通りついたのは一人で、カラオケ行ってご飯食べてお茶して帰ってきました。

タクシー拾おうと思ったけどなぜか見つからなくて、一人で坂登って帰ってきました。

学校の帰り道みたいでした。

楽しかったです。

 

まえに学校をリタイアしたときは、友達に何も説明しないままそっと立ち止まってしまって、それをずっと後悔していました。

もし怖がらずに話していればまだ友達でいてくれたのかなと思ったり。

だから今回はもしも距離を置かれることになったとしても、頑張ったけどムリだったよと笑って伝えてから消えようと思って、そうしたらまた遊んでくれるって言ってくれたので、ほんとによかったです。

 

小さいものから大きいものまで、じぶんのだめなところは棚上げにして、ただ友達と遊ぶ時間は本当に楽しかったです。

賽の河原みたいな日常をすごしていくこれからの日々で、今日の特別じゃない一日をたまに思い出したくて、備忘録を書きました。

 

たたききゅうりは辛かったし、キムチはすごく辛かったし、お好み焼きはおいしかったです。

ソフトクリームも。

つぎはポンデリング食べたいんだけどいい?

 

ちょっと泣きそうになりながら寝ます。

「いいわけ」という言葉が嫌いなひとは親近感を覚えます。

わたしをこわした言葉があります。

中学一年生の時に担任の先生と二者面談をした時の話。

担任の先生は理科の教師で、ふわふわしていて、にこにこしていて、綺麗なスカートを履いていて、怒ると怖かったけれど、わたしはたぶん好きなのでした。

わたしは教師という人種に好かれる質の人間でしたが、その先生はどこか苦手でした。それでも好きだと思い込んでいましたが。

 

「そんなにいい子ぶらなくていいのよ」

 

ろうかちゃんは頑張っているけれど。

無理にいい子ぶらなくて。

 

その言葉が衝撃的で、忘れられません。

あの頃より老成したので、いまのわたしは、その発言の意図がわかります。

無理すんなってことなんでしょうね。

心配だったのかもしれません。何故か忘れ物が多くて授業中に眠ることの多かった睡眠障害のわたしのことが。みんなあたりまえのようにやっている、日記を書いて提出するということがまともに出来なかったわたしのことが。

 

わたし、頑張ってませんでした。

いい子ぶろうと思ったこともありませんでした。

いい子なんです。規律は重んじます。信号は守ります。でもそれはわたしの中で当然のことでした。

ただのいい子です。いい子だったけれど、完璧じゃなかったです。できないことがありました。

ぶってなかった。

 

わたしは、わたしがいい子ぶってると周りの人から見られていたのかと思ってしまった瞬間から、急に同級生もそれまでの友人もみんな知らない人のように思えてしまったのでした。

友人だと思っていたけれど向こうはそうじゃなかったかもしれないという思いに取り憑かれました。

それ以来、学校で無理するなと言われると顔が少し引きつります。知らない人に見えるからです。

 

わたしは専門学校でどこからどう見てもオタサーの姫らしかったのですが、オタサーの姫と呼ばれることは嫌いでした。

姫になろうとしてなってるんだと思われたくなかったからです。

オタサーの姫ですよ(いまはどうか知らない、わたしはしばらく学校に行っていないから、もう友達なんていなくなっちゃってるかも。嫌だなあ)、でもなろうとなんかしてなかった。

 

わかって欲しかったけれど、専門学校の、うーん、ある種独特な、文系メンヘラを排斥したい流れに八方美人のわたしは逆らいたくなかった。

友達が欲しくて。

地元で、先生にもらった一言で信じられなくなってしまった小学校時代の友達の代わりに、こちらでは友達が欲しかったから。

 

それがなぜこんなことになっているのか……

 

 

わたしをこわした言葉があります。

誰か、わたしの友達が、いつかこの本当のことを言えないわたしを壊してくれたらいいのに、なんて偶に考えます。

でもそうしたらたぶんわたしは泣いちゃうだろうから、やはりメンヘラとして排斥されてしまうのかな。

 

友達を無くしたくないなあ。

どうか嫌われませんように。神様、お願いします。

おやすみなさい。

 

神様とメンヘラ

 

今日のBGMです。冒頭一小節が臓腑に響く。

 

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十四歳のころに教会に行きたいと母に言ったことがあります。

許して欲しいと思ったからです。

学校にも行けず、生徒会の仕事はすべて同級生にパスして、宿題もせず、塾にもあまり行かず、それでものうのうと生きている自分を許して欲しいと思ったからです。

母はどこかが痛いような困ったような顔をして、それはどうだろう、といった旨のことをいいました。

神社をお守りしている家の娘のくせに、不思議と自分の家の神社に縋ろうとは思いませんでした。信仰もないのに見ず知らずの他國の神さまが救ってくれると信じていました。そんな頃がありました。

窓の外のオレンジ色の街灯が眩しいなとか思いながら、夜中に、体育座りで許してと呟いたものでした。

 

今のわたしが夜中に呟く言葉は許してではなく助けてです。

布団に額をこすりつけて、八月から切っていない髮なんかぐちゃぐちゃになってる、こんな自分を見て誰が助けてくれるんだろうと思いながら、それでも助けてといいます。

神様ごめんなさい。

親不孝を許して下さい。

メールを返せない自分を許してください。

誰か助けて下さい。

 

無意識下で選んでいた言葉を比べてみて、ああ、やっぱりわたしは二十一歳になってどこかが変わってしまったんだなと思った今日でした。

 

ところで、教会に行くことができなかったわたしがどこに逃げたかと言うと小説を書くことだったんですが、やっぱり創作と感受性って信仰が関わりますよね。

宗教について勉強したいなーと思いました。

神様とメンヘラについて、一考の余地がある。

 

 

二十一歳の今、セカンドオピニオンがしたいです。

診断書をもらいたいと思ったからです。

これが許してと助けての違いかな。