ノスタルジィのお葬式

遺書を殘す積もりでいろいろ考えてみる

子供じゃ無いのに大人でも無い / 第三回新書備忘録

いやはや、昨日のブログを書くときにも少し悩んだんですけれども、この勉強系ブログのタイトルをどうしようかなあと思案しています。このままでいいかしら。
今日もブログを書くのを忘れて布団に入ってから「はっ」と気がついて、どうしようか、今日の勉強は止めにして眠ってしまおうか、うん、と小一時間は悩んでからむくっと起き上がりこうしてパソコンを立ち上げている次第であります。
幸、第四節第三節は短かったので寝るまでの間に出來そうですね。

そう云えば、新しい手帳を購入しました。限界オタクなので今年もハイキューのグッズをアニメイトで手に入れたのですが、一見してオタクグッズだとわからないところが素晴らしいです!
これまでこういう満足感はCLAMP作品のグッズでしか味わったことがなかったのに……
まあ、クリアファイルやノートパソコンの外装などで無残にもバレていくのですけれど……
市役所とか、公的機関でオタクグッズを広げてもTPO的に大丈夫ですかね……それ以外のクリアファイル持っていなくてちょっと明日の市役所が不安なのですが……。
まあなんとか誤魔化して行きましょう。


日本人のための戦略的思考入門

孫崎享
第一章
第四節第三節 ←イマココ!

孫子の再発見

  • 三節 二節で述べたボーフル将軍の論は孫子に通ずる。

    百戦百勝は善の善なるものに非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」「用兵の法は、国を全うするを上と爲し、国を破るはこれに次ぐ」

  • 孫子の再発見が第二次世界大戦後の戦略論の特質である。
  • 人間の営みはゼロサム・ゲームだけではなく、行動には常にコストがつきまとう。
  • 「コストに見合う成果が出るか」これが戦略的思考の要である。
    /== もうこの辺全文引用したいくらい全部重要に思える ==/
  • 軍事行動で費用対効果の概念が希薄になったとき、結果として軍事行動の失敗が來る。
    └米国のベトナム戦争イラク戦争アフガニスタン戦争など
  • 安全保障の面では、核兵器が戦略論の大変化を招いた。従来の戦略論は戦争で「いかにして相手を完全に破るか」を考える學問だった。
  • その流れの中に、代表的戦略家クラウゼヴィッツが居る。
  • クラウゼヴィッツの主張「戦争とは相手に我が意志を強要するために行う力の行使である」「この目的を確保するために我々は敵を無力にしなければならない」
  • この流れをくむプロイセン王国モルトケは戦力の根源や国家の威信すらも奪取しなければならないと指摘している。
  • クラウゼヴィッツモルトケは「相手国の完全破壊をすること」に終始している。しかし、「その過程で自国がどの程度の被害を被るのか」、「被害と目的のバランスが取れているか」についての視点が欠けている。
  • 第一次世界大戦時、ドイツ軍ではクラウゼヴィッツモルトケの戦略論が支配的であった。そしてドイツ軍は177万人の戦死者を出した。
  • 日本もそれを信奉した。結果、第二次世界大戦時、日本は兵士230万人、民間人80万人の死者を出した。ドイツは兵士285万人、民間人230万人である。

この節、文としては短いんですが全部重要に思えました。
というか第一次世界大戦プロイセン王国ってまだ存在したんやな……とか自分の無学を思い知りました。もう滅んでたと勝手に思ってた。
しかし、こうして戦争のメリット・デメリットを考えているとどうしても倫理が引っかかってきますね。
拉致された家族を諦めることで例えば国交が正常化して、国民の大多数の国益が増えるとするならば、民主主義国家の日本はどうするべきなんでしょうか。
自由民主主義は少数派の意見を聞いてこそですよね。大多数の国益を増やすという考え方は功利主義に寄っている……のでは?
やっぱり政治思想史や倫理についても勉強したいですなあ。平行してお勉強をしてみよう……。英語もやりたいんですけど、手段ですよね。
やりたいことが増える秋です。 それではまた明日。

10/12追記:第三節なのに第四節になってましたね。斜線して修正しておきました。ZAP!